26歳の交換日記

1988年生まれのすみれとくみこの往復書簡

僻地と悟りと愛欲と(すみれ)

たしかに。あのはげしくチャラいナンパ君には、どこか暴力的な匂いがあった。有無を言わさない男特有のねばりっこさみたいな。まちがって一夜を共にしたりしたら、目が覚めて二日後あたりに絶望的な気分になりそうだ。。

 

キタね!僻地悟り候補地!わたしたち、会うたびにそういう話をしてきた気がするね。笑

調べたわ。北海道斜里郡斜里町。町名の由来は、アイヌ語のサルまたはシャルより転訛したもので、いずれも「アシの生えているところ」の意味だそうね。手づくりリゾートクリオネ遊牧場なんておもしろそう!って思ってググってみたけど、ちゃんとしたウェブサイトもないらしく、そんなところがまた田舎らしくていいななんて思った。

 

いいんじゃない!行っちゃえば。なんちゃって。でも、行っちゃってもどうにか生きていけるのは間違いないんだもん。大体なんでわたしたち、こんな狭苦しくて息苦しくて物価高くていつ地震で吹っ飛んだりイルミナティーに破壊されるかわかんない東京に寄り集まってヒーヒー言いながら生きてんの?もちろん東京は魅力的な街。夢の破片とエネルギーと刺激に満ち溢れていて、自由で、夜中の3時に男装して泣きながら街中をふらふら歩いたって誰もが見て見ぬふりをしてくれる、寛大で、そのくせグテーンとしたズボンの尻ポケットに長財布入れててもめったにすられない安全な都市。こんな不思議な街、もしかしたら世界中探したってないかもしれない。

 

だけど、だけどよ。なんでわたし今東京にいるんだろう?ってまともな人(まともじゃなくたっていいけど)だったら月に3回は考えるよね。どうやったって、どこ行ったって、わたしたちは生きていけるはずなのに。東京で生きていくためだけにヒーヒーしてるなんて、なんかアホくさってなることある。特に、大学卒業してからフリーターやってるときなんかよく考え込んだ。とはいえ、田舎に行ったら行ったで「なんでこんな腐ったニシンみたいな町でちまちま生きなくちゃいけなのさ。わたしはもっと自由で、刺激に満ちた生活が送りたい!」って思うんだろうけど、とか。彼氏もわりと僻地旅行好きだから、わたしが「自然が豊かなところに移住しよう」って言うと、それはやだって言うの。彼が東京生まれだっていうのもあるけど、「DiskUnionが近くにないと生きていけないから」とか言うんだよ。まったく腹立つでしょ!彼氏がDiskUnionのために東京にいる→わたしはその彼氏との生活のために東京にいる=わたしもDiskUnionにしばられている!っていう謎な公式が成り立つんだもん。ま、DiskUnionは好きだけど。それに、どんな事情があるにせよ、今ここに自分がいるってことは、なんらかの必然性があるにはちがいないんだけど。

 

だけどわたしも本当に一人だったら、僻地移住についてもっと真剣に考えるんだろうな。人生80年として、そのうちの数年僻地で過ごせるなんて、素敵じゃない。さらにそこで悟りなんて開いちゃった日には、その後どこに行ってもお金に苦労することもくだらないことに悩むこともなくなるかもしれない!!たとえくみちゃんが北海道斜里郡斜里町の家賃1万円、敷金礼金0円、専有面積127.76㎡、5LDKの一軒家に住んで、知床第一ホテルで週40時間働く生活を選んでも、この交換日記は続けられるしね(笑)

 

とはいえ、免許と雪下ろしは看過できないね。わたしも田舎行くたびに「だけどあたし免許ないんだよな…」って考える。雪下ろしも、やったことないけど東北に生きてる人全員尊敬するくらい大変そうっていつも思う。

 

それで思ったけど、僻地で誰か(っていうか男)と住むのは、都会で一緒に住むより何倍もしんどいんじゃなかろうか。都会に二人でいても、それは「いろんなものとか人がゴチャゴチャしてる中にわたしたちがいる」っていう感覚だけど、僻地で、まわりは木とおじいちゃんおばあちゃんとリスしかいないようなところで、特定の男と顔つき合せて生活するってことは、互いの存在感半端ないってことよね。僻地でひたすら愛欲に溺れる、なんてのもそれはそれで悪かないけれども…

 

なんて妄想していたら、日をまたいでしまったわ。ゴメンナサイ。

今日はなんだかものすごくイライラしていてひとりで怒鳴ったりしてたんだけど、気づけばポロポロ涙があふれたの。イライラの感情の下には必ずと言っていいほど悲しみが隠れてるものなのね。