26歳の交換日記

1988年生まれのすみれとくみこの往復書簡

「すごくない」と冷静に見分ける力について。(くみこ)

池袋の現場、前はよく行ってたな。

すみれさんと一緒に行ったことはなかったと思うけど、行っててもおかしくなかったよね。

 

そういえば、「脱法ハーブ」の代替名を公募して、「危険ドラッグ」になった、ってニュースがあったけど、

「一番多かった『危険』という言葉と『ドラッグ』という言葉を足しました」

っていう発表を平然としているおじさんに本気でびっくりした。

私たちが生きてるのってそういう国で、「上のほうにいる人」が、正しい論理で考えてるのか、人の気持ちがわかる人か、そもそも常識がある人か、っていうと、信じられないくらいそうじゃない、っていうことが日々わかって本当にびっくりしてる。

その一方で、地元のデニーズでたまたま隣に座った茶髪がプリンになってる肥満気味のお母さんが、中学生くらいの子どもとすごくまっとうな会話をしていて、

「でも、こういう人たちは、ああいう人たちのことを『エライ』ってどこか思ってる場合がほとんどだよな」、なんてことをぼんやり考えてた。

すごくないものを「すごくない」と、反抗や無茶じゃなくて、まっとうに感じ取る力ってじつはすごく貴重で難しいものなんだと思う。

身近に「ちょっとすごい人」が何人かいると、そのあたりの感覚も得やすいと思うんだけど。

私の親はふたりとも高卒で、親戚に上のほうの大学行った人もほとんどいないから、地元で親と駅伝なんか見てたときは、親と

「早稲田って難しいん?」

「そら難しいわ、ちょっと格が違うんちゃうか、お前はちょっとむりやろな」

みたいな会話をふつうにしてて、まあ自分も無理だろうなって思って、普通に考えることもなく東京にきて、東大とか早稲田とかの人とたくさん知り合って、

「東大や早稲田のひとはたしかに頭がいいかもしれないけど、まあ普通の人間だ」

ってことを知る前と後とでは、だいぶ何かが違うように思う。

 

ちょっと話が飛ぶかもしれないけれど、

小学校から私立、っていうのも本当にやめてほしいというか、私立の小学校ぶっ壊したいって思うくらい。

公立の小学校って、土地柄も多少はあるだろうけど、家庭の生活レベルも教養レベルもほんとまちまちで、そのときは、たんに「服汚い」とか「風呂入れよ」とか「あいつモノ盗む」とか「宿題なんでやってこないんだ」とか思っていても、大人になってから思い出したときに、いろいろな社会問題が生活のすぐそばにあることを、リアルに理解できる瞬間がくるかもしれない。

小学校から私立、なんてデフォルトになっていったら、ちいさい頃から何かを手のひらからこぼしていっている人たちがいる、ってことに思い当たらない人がどんどん増えていく気がして怖い。

 

なんて私は思っているけれど、これも私体験を元に考えることだから、
私立の小学校で育ってきた人たちは、私が思いつきもしないことを、考えているのかもしれないけれど。

 

 

いま、一番楽しみにしているのが、
Eテレの「戦後史検証プロジェクト・日本人は何を考えてきたのか」っていうテレビ番組で、なんかこれがすごく面白い。

http://www.nhk.or.jp/postwar/program/schedule/

一回目の湯川秀樹が、本当に面白かった。アインシュタイン湯川秀樹や、当時の物理学者たちが、核爆弾の廃絶を訴え続けた、っていう話。

今日は司馬遼太郎

 

 

なんかマジメになっちゃった。

でも、根がマジメだから、しかたないのよ。