詩と、それをごまかす現実について。(すみれ)
きのうのくみちゃんの日記を読んでなんだか、すこしものがなしく、優しいような気持ちなった。
もしわたしが男性だったら、筋骨隆々の二の腕で腕枕して、いい匂いがする布団の中であなたを抱きしめて眠りたい。
もしわたしが女性なら胎内にあなたを入れて、温かな羊水のなかでぼんやりゆらしてあげたい。そしてもしあなたがそこで暴れるのなら、自分のおなかの上に手をあてて、ポン、ポン、となだめたい。
そしてあなたがそっと目を覚ましたら、わたしはあなたのために温かいハーブティーを入れて、夜明けの街をながめながらあなたの額に手のひらをおしつけて「うん、なんだか熱があるみたい。今日は休んだほうがいいみたい」って言うの。
まぶしい朝の光がわたしたちを奪うまえに、かたくなに目をとじて、ふたたび眠りにつくの。
とまあ詩と現実を行き来しながら生きているわけだ。
中国が期限きれの鶏を使用してたとかでマックのナゲットで大騒ぎしてるけど、「中国はヒドイ国だ!日本はこんなに安全に気を配っておりますのに…」みたいな報道もいかがなものかと思う。毒みたいなもの普段からさんざん行きわたらせてるくせに。
今日、池袋で脱法ハーブで死者が出た現場を通った。枯れた花束とたくさんのペットボトル。静かに手を合わせました。
死がなんなのかわからないにせよ、まったくもって、感情の行き先も決められないほど混沌としているのが世の常かしら。正しいこと、間違ってること、もはやなにがなんだかわからないまま熱中症になりそうだよ。