26歳の交換日記

1988年生まれのすみれとくみこの往復書簡

病み上がりハイ(くみこ)

すっかり私のほうが遅くなってごめんね。

少し前まですごく落ちてて、その理由もまた進歩のない考えてもむだな仕事のもやもや(失敗したんじゃないか、怒らせたんじゃないか、みたいな)やつで、

私の隣の席の先輩はそれを完全にマリッジブルーと呼ぶんだけどそんな感じは全然なくて、

でも結局風邪を引いてとにかく体調が悪くなって、元気になってくるとなんだか気持ちも蘇ってきた。

こんな10代の頃からずっとかわらないようなバイオリズムを一生やってるかもしれないと思うと、もうすこしせめてうまくやりたい、進歩したい、とつくづく思う。

 

ふたりのお友達はがんだったんだね。ほんと、やだよね。

身近なひとがなくなると、生死についてすごくリアルに考えるよね。

私は小中学生くらいの頃、一度すごい輪廻転生にはまって本とか読んでたんだけど、結局は、その学問のように整理されたり編み込まれた考え方があってるかどうか知る方法はなくて、

それでもなんとなく信じていたんだけど(人は生まれ変わった回数によってスピリチュアルへの許容が変わってくるのかな、とか・・・)、

最近は、結局人間の身体はこの地球上に存在している炭素や窒素やいろんな元素とそのあいだの電子とかからなりたっていて、死んだら二度と組み立てられない可能性があるんじゃないかと思っていて、

そういう考え方をしはじめてからのほうが、シンプルになって悩まなくなったかも。

(要するに、人生一度きり、と思うようになり始めた、ということなんだけど。)

いまの時代を生きる日本人として、地球上に人類として組み立てられたことのラッキーさを考えると、自分で死ぬのはもったいないと思うようになってきたし、

自分で死なねばらならぬほどのことは所詮人生には起きない、という高をくくったような気持ちになってる。

そうなってくると余計に、そして家族がいたりすると本当に、病気で若くして死ぬのはいたたまれないし怖い。

という、結局は人の死に際して自分について考える、ということになって、傲慢さを感じたりもするけれど、でもそれしかできないよね。

 

近々、会いにいくね。