26歳の交換日記

1988年生まれのすみれとくみこの往復書簡

忘れること。(すみれ)

終戦記念日だね。

 

さっき帰宅してテレビ付けたら毎年のように見かける「最近の若者は今日が何の日かも知らない」っていうのが番組の最初3分くらい使われてた。原宿とかで「今日は何の日か知ってますか~?」「えっなになに?あ、もしかして戦争かんけーい?」とかやってるやつ。「日本がどこと戦争してたか知ってますか?」「えっ全然わかんない!あ、韓国、韓国でしょ!」とか。。。ヤラセやないの、って言いたくなる。

 

そういう人たちが一体どういう育ちで、何を勉強して、どんなことに興味を持ったり責任を感じたり罪悪感をもったりしながら生活しているのか、わたしにはわからないのだけど。何でそういうことになるのかがわからないんだけれど。たとえ知らなくても「戦争はいけない」「戦争は絶対しない」っていうことだけは変わらない真実として今の若者の中には根付いているのではないかと思うのだけれど。

 

「最近の若い者はけしからん」論はひとまず脇において、わたしたちは本当にどんどん忘れていく生き物なんだなあってことを書きたい。あと100年後の世界で、今の世の中で起きていることや今生きている人たちが、どれだけ「覚えられている」だろうか。たとえ経験していなくとも、遺伝子や脳裏の広漠とした無意識のなかに「何か」は刻みこまれていくものではないかと思ってるけれど。

 

今日家じゅう掃除をしおわって、ふっと力を抜いた瞬間に突然「進化論は嘘だ!」てひらめいて、絶対そうだっていま確信してる。(笑)他の生き物はともかく人間がもとは魚で海から陸に上がっていつの間にか手足が生えて次に猿になってアウストラロピテクスになって北京原人になって人間になったなんてことはありえない。こんな短い年月の中で。子どものときから猿が人間に進化していくもっともらしい絵を権威ある書物で見せられて思いこまされているけれど、冷静に考えてもオカシイでしょ。いま、「猿と人間のあいだ」とか「魚とペンギンのあいだ」の生物とかいないし。

 

とまあ、進化論の真偽は脇におきまして、わたしたちは、自分たちがどこから来たのかもすっかり忘れてしまって、思い出したくて必死になりながら生きているんだってことを考えていたの。

 

安倍首相は、「今後日本が戦争に参加するようなことは決してない」という。もちろんそうでないと困る。彼が一体何を知っているのか、一般市民のわたしに本当のところは多分わからない。だけど本能的にわたしは彼の言葉を疑う。「抑止力」「アジアの平和」「日米同盟強化」聞き飽きた言葉で本質を見失いたくないと感じてる。

 

きのうのくみちゃんの日記、「夏の夜に食べるソーダ味のアイスキャンデー」を思い起こさせたよ。とくに、わたしの「優しい人モード」に関するコメントはうけたね。(笑)

 

そうそう、涼やかに軽やかに優しくなったり怒ったりワガママになったりすればいいんだわ、ってね。