26歳の交換日記

1988年生まれのすみれとくみこの往復書簡

夏の盛り(すみれ)

「安心」というのは非常に微妙な言葉だとわたしは常々思っている。「安心」は何よりもの商品だし。宗教だって結局は「神様を信じていれば安心」ってことだものね。

「安心」の逆は「不安」っていうことになるだろうけど、芥川龍之介ほどではないにせよ、人は皆「ぼんやりした不安」を背中にはりつけながら生きていて、そこに漬け込まれてはお金はおろか時には命だって投げ出す。最近わたしが一番反応した「安心」は、安倍首相の「国民の安心のための集団的自衛権」という使い方。この人の言っている「安心」っていうのは一体なんだろう。「他国に負けない」ってことなんだろうか。けれど集団的自衛権を行使することで「戦争が近くなる」という「不安」をわたしたちは感じるわけで、「戦争に勝てれば安心」なんて誰も思ってないんじゃないか、とか考えていた。

 

話がずれたけど、いじめについては「自分はみんなと同じ=いじめている側だから安心」ってことだよね。わかる。たしかに、思春期で一番怖いのは仲間外れにされること、自分が「キモイ」というレッテルを貼られること。

 

わたしは高校のときクラスや部活になじめなくて帰りに毎日「人に好かれる本」とかを本屋で読み漁っていた時期があったんだけど、そのときに当時わたしが好きだったMOVIE STARという雑誌でジェシカ・アルバがティーンエイジャーが自分に自信を持つためにはどうしたらいいかという質問に対して『大切なのは自分がハッピーでいることだけ。学校の友だちなんて卒業したら一生会わないんだから』って答えてるのを読んで目が覚めたような気がしたことを覚えてる。学校という狭い社会で得られる「安心」なんて、幻想にすぎないんだって気がついた。

 

いじめって万引きと似ていて、その場の高揚感とかも関係している気がするけど。安易に語れないので今日はここまで。

 

風が気持ちいいよ。夜はいいね。今日はふと、いま夏の真っ盛りだってことに気がついたよ。Mが「毎年夏は楽しもう楽しもうって思うのに、そう思ってるうちに終わってしまう」って言ってたけど、夏っていうのはそういうものかも。一瞬の夢のような人生の盛りと似ていて。

 

盆踊り踊りたい。