26歳の交換日記

1988年生まれのすみれとくみこの往復書簡

『思い出のマーニー』(すみれ)

木更津いいな。行ったことないけど、どっかの電車の終点だよね?今まちがえて「きさらず」って打ったら「気去らず」って変換された。なんかありそうでない言葉(笑)

着々と実家暮らし(休職生活?)にむけて希望あふるる感じになっていてステキ。免許取ったら楽しいだろうね!田園風景の中を走るの!!くみちゃんが帰ったら、18切符かんなんかで和歌山まで遊びに行きたい。ベルギーよりずっと現実的(笑)『思い出マーニー』的に語らおう★映画見てないけど…見たいな。

 

今年のはじめに会社辞めるって社長に宣言した後は、宇宙とつながれる新しい希望に満ちた生活がやってくるような気がしたなあ。。「わたしはアーティストとして生きていきたいので」なんてしゃあしゃあと言ってのけた。まあ見ての通り思ったようにはいかないけれどもまだ半年たってないしな。地味にやることやってる気もするし。とか自分に言い聞かせてみる。なんかこう、奇跡の光みたいなのが降臨してくるイメージだったからなあ。理想高すぎるね。淡々と続けることが肝、よね。わたしたちの内では。

 

ツールスレン!そういえばそんなこともあったかもね。じわじわ思い出してきた。「あんた、それ本当に具合悪かったの?仮病じゃないの?」とかなんか、過去の自分に向かって意味もなく疑念を抱いてしまった。

とはいえ影響はまともに受けるね!だからあっち行ったりこっち行ったり鬱になったりするね。よく。くみちゃんは確かに防御服着てる感じはあるよね。そこがスマートでミステリアスな感じだけど。むしろそれで損することもあるのかな。

去年仕事してて思ったけど、わたしは様々に影響を受けやすいから忍耐の度合いが低いの。しかもそれに対してかなり意識的だからすぐ「ああわたしこんなこと続けてたら死ぬ」とか思い詰めてエイヤって全然別の場所に乗り移ったりする。一方でいろんなものを受け取っているのにあまり気がつかないで頑張りつづけて突然大病したりする人もいる。わたしみたいなのはある意味図太いんだな。

 

自分が全然覚えていなかった自分と関係する事柄が、他人のなかに残り続けてるのって不思議だよね。遠い昔に忘れた子ども時代に3日間だけ大事にしていたガラクタを、未知の土地で拾い上げたような。

くみちゃんが、わたしが風会を休会した時に手紙に書いてくれた「溢れるほどの優しさに何度助けられたかわからないよ」という言葉がなんの脈略もなくわたしの脳裏によく映し出されるの。それはなんか嬉しいとかありがたいという感情とも離れている場所で何かをさししめしている言葉のよう。

そんなことを思いつつ久しぶりに手紙を読み返してみたら…6年前のくみちゃんの思いが今にも封筒から溢れて溢れて渦になりそうな愛情あふれるお手紙で、わたしは数年前にどこかに置いてきた何かにまたばったり出会ったような気がしました。

 

ありがとう。

 

とか、なんか恥ずかしい。笑

恥ずかしいんだけど、言わずにおれぬほどのそれだったのよ。