26歳の交換日記

1988年生まれのすみれとくみこの往復書簡

グッバイのち、晴れ。(すみれ)

チケット、売れたらいいよね。。

 

うんまあ、なんとなくわかる。書くっていうのはそういうことなんだよね。言わなくていいこと、ふだん言わないようにしてることを書いてしまうんだから。思っているだけだったら誰にも影響を及ぼさずにすむことなのに、書いてしまったらそれは現実に作用してしまうんだよね。

でも書きたいって思っちゃうっていうのは、どこかで内なる自分をだれかにわかってほしいっていうのもあるからで、そうやって誰かが書き残したものを受け取って励まされることもある。「こんなこと書いたらまずくない?」っていうことこそ、読者にはおもしろかったりもするわけで。

 

だけど、やっぱり日記なんてものに「読者」があらわれるのは、それによって誰も傷つけたりしない、書き手の死後であるべきなんでしょうね、本来は。昭和天皇の手記におさめられた苦悩、なんかがちょうど話題になってるけど。

わたしだって、この日記に書いたあることで、『書くべきじゃなかった』って後悔してること、ひとつあるもの。笑 もはや遅いからどうしようもないけれど。

 

なんにせよ「おもしろく」できなくなってしまったら、それはもうやる必要のないことだから、終わりにしようかしらね。

 

どんな自分も表現するんだ!なんて息巻いて生きてきた「アーチスト」な自分もいるけれど、表現なんてあえてしないんだってことを選んで生きることもありなのかもしれない、多くの人がそうであるように。

 

そのほうが、わたしたちが求めている美しいサムシングに近くなることもあるのかもしれないなあなんて、仕事の帰り道、見事な満月に疲れた心をゆだねながら、考えてみたのでした。