26歳の交換日記

1988年生まれのすみれとくみこの往復書簡

金欠のときの休日の過ごし方(すみれ)

さっそくまわってきたよ☆

交換日記って、絶対だれかが途中でとめてなんとなく消滅していくんだよね…… 今度こそそうならなようにしたねー。ババアになったって書き続けてやりたいよねえ!「26歳の」っていうタイトルで!

 

くみちゃんのプロフィールの教育方針の「話し合う」っていいねえ!!言葉こそ、人間にあたえられた最高のツールであるのに、この「話し合う」っていうの、いかにできていないことか……。特に、日本人は文化的に苦手なのもあると思うけど。「対話する」っていう文化がないものね。

でも、本当に大事よね。べつに全部じゃなくても、深いただ一点だけでもいいから、理解して、認めるってこと。親子だって他人だもの。他人だけど、でも一生完全に互いの存在を忘れることはできないんだもの。

わたしなんて、親とちゃんと話し合ったことない気がする……

 

自由について、くみちゃんの読んでたらまたいろんなことを考えてしまったわ。これは、答えとか道筋とかないとかないから、気が向いたらちょこちょこ書いていきたいテーマ。

 

人生のピースについて、なるほどねー。そうね。考えてみたら、はじめっからピースの形とかベースになる土台とかそういう制限がなんにもないもないジグソーパズルなんて存在しないものね。人それぞれ、生まれたときから無意識にいろんな形のピースをはめこんでいっていて、でもそれがある時点で(学生を卒業したあたりからかしら)急に手ごたえがなくなるっていうか。それでいうとパートナーっていうピースはでかいよね。うん。不思議だよね。「恋」の時点ではさあ、非日常という、どこにもはまらない特別なピースだったはずが、いつの間にか生活というパズルのどまんなかにデーンって陣取っちゃうんだよ。ぎゃー。びっくりよ。例えば相手方の家族と過ごすこととかが当たり前になってくるって変な感じしない?

わたし、つい数年前(ちょっとサバよみ)まで、男子と口きけないくらいの乙女だったのになあ……

いつのまにか、自らすすんで不自由な道を選択していくのかもしれないね。そもそも「自由」の定義がないところに「不自由」もないか…。

誰とも深い関係を築かない人生を最後まで貫く人もたくさんいるってことも、やっぱり不思議な気がするんだけれど。わたしには。朝ドラのヒロインが世のスタンダードだと子ども時代に勘違いしたせいかしら。

 

結局、人間のやることなんて、どっちいってもなにやっても大差ないんだろうなと思ってる。宇宙は膨張しているし、前世で人を殺した罰をうけているかもしれないし、わかろうわかろうとすることなんてムダだ!意味を見出そうとすることなんて徒労だ、と思うこともある。

 

今日は、週が明けたばかりというのにフリーターのわたしにはさっそく休日がめぐってきて、それはそれで9月の演劇祭のフライヤー作成とかいろいろしないとなーと思っていたんだけど、結局塩羊羹食べながらダラダラしていていて(美味しかったよ!)、夕方に思い立って図書館とTSUTAYAに行ってきたの。

 

わたし、もう2年くらい前からどっちもカードきれてて作んなきゃなーって思ってたんだけど、「カード作る」ってのが、どうも、億劫でだったし、なんだかんだ忙しかったりして行ってなかったんだけど、いよいよブックオフで本を買うのもためらわれるようになってきたから意を決してね、行ってきたの。

そしたらさ、どっちも保険証を提示しただけでほんの5分たらずで全部手続き終わってカード発行されたの。

 

なんか拍子抜けした……。

 

心のどこかで、わたしがカード作ろうとした途端に、小人たちが笛吹きながらやってきてピッピッピーお前はダメだぞ!って言われるんじゃないかって思ってたんだよね。。それがなあんだ、こんなもんなのかっていう。

 

ま、それはともかく。久々の図書館はとてもすてきでした!くみちゃんが書いてた『自由はいかに可能か』っていうの探そうと思ったんだけど、いざ検索しようとしたら、題名がどうしても出てこないのね。ためしに「自由」っていうキーワードいれてみたら38521件受信中……っていう表示が出たからびびって終了ボタンおしちゃった。

それで結局『演劇フライヤーコレクション』とか吉本隆明の本とかハードカバー数冊借りて、肩に心地よい本の重みをくいこませながら山手線にゆられたというわけ。

 

お金なくても、図書館とツタヤさえあれば、十分に幸せでいられるなんて、都会はすごいなあとか人ごみのなか考えていました。ま、税金払ってんだけどね。

すれ違う人、人、人、人。どういう背景でこんな格好してるんだろう、みたいな人ばっかりだし。

 

まったく、おもしろいぜ。