26歳の交換日記

1988年生まれのすみれとくみこの往復書簡

「ハチャメチャな妹」の憂鬱 (くみこ)

まずは、順調に一週間クリアだね♪
 
私も、たぶん同じ感じに心地よく思っていると思う。
そのポップコーン現象もすごくわかる。私も全然パソコンの前に座るとなくなる。
でも、これだけ書きたいことが溢れてるのも最初のうちかもしれないから…。笑
 
 
 
演劇のワークショップってそんなことも言ってたんだね。面白そう。
 
「面倒くささの奥に感情がある場合」って、たとえば、
「仕事相手にメールを送るのがめんどくさいなあ」ってやつの下には、
「なんか不快にさせそう」「怒られそう」とか思うからめんどくさい、ってことだよね。
 
 
私の場合はどうなんだろう。
ちょっと話が遠回りするけど、
私にはすごく真面目で出来た兄がいて、
兄弟ってそういうものかもしれないけど、
兄がすごくしっかりしてるから、自然と私は家の中で「はちゃめちゃな妹」っていうポジションになっていて、
「ちゃらんぽらんさ」や「適当さ」や「甘えん坊」みたいな、「はちゃめちゃな妹」的な性質が
環境から与えられているように感じるときがあって(元来のものもあるだろうけど)。
 
で、たとえば、
兄は母のグチを丁寧に聞いてあげたりするから、私はそういうのを割とスルーするのが日常的で、
兄はお盆も正月もちゃんと帰省してあれこれしてるから、私はなんとなく行かなくていいか、みたいな
 
私が、母のグチを延々と聞かないとしても、実家に帰らないとしても、
それは、積極的(自分の意志を持って)にそうしているというよりも(そういう部分もあるけど)、全体のバランスから、「お前が緑なら、俺黄色」的なルールに沿ってそういう感じに生きてきたんだけど
 
それで最近、どうやら社会には、これまでの自分の行動パターンでやっていくとすんごい顰蹙を買う部分があるらしい、と気づいてね、
でも、私は別に「ハチャメチャな妹」的な自分が、「のっぴきならない真実の自分」というわけでもないから、なんだかそれは「演技をやめる」ような感じなの。
ただ、それに伴って行動しなければならないから「面倒くさいなあ」って。
 
すみれさんの、「ひとはめったに真実を話さない」っていうのは、ちょっとリンクする話なのかもね。
別に嘘をつくつもりじゃなくても、それぞれのルールや感覚やその場の雰囲気で
ひとは言葉を発していて、それをひっくるめて受け止めることができると、齟齬がないし近づけるよね。
 
 
 
ちなみに、田舎の面倒くささは本当におっしゃる通り、
私には本当に堪え難いものだったからちょっとそっちはまだ頑張る気が起きないんだけど
いつかそういうものに巻き取られていく日がくるかもしれないけれど…)
私の面倒くささは、丁寧にする、とか、ちゃんとする、とか、そういう感じかな。
 
でも、グーグルの検索ってすごいのね……。