26歳の交換日記

1988年生まれのすみれとくみこの往復書簡

台風予告とパンケーキにはじまり、チェーホフで終わる日。(すみれ)

ふう。

日をまたぐのが当たり前になってきちゃったね。。まあ、いっか。

ようやく座ってパソコンの前に座れたのが、いま、だから仕方ないか。眠い日は、めちゃくちゃ眠くてどうしようもない日は、免除ね。笑

 

うふ。

今日という日のクライマックスの半分くらいを一緒に過ごしたからね。何書こうかなー。

甲子園延期につき、母校の開幕戦も延期。うむ。長崎の原爆の日も、表参道は大変なにぎわいだったわね。雨も一瞬だった。なぜかわたしたちはパンケーキ。食べたね。食べきれなかった。ごめんなさい。あれって、半分は目で食べるものなんだね。ずっと憧れてたんだけど、いざ目の前にしてみると、気分だけでおなか一杯になっちゃうんだな。学びました。人間って生き物はホントやっかいね。

 

いろいろごちゃごちゃ話したあたり、女子会っぽかった。笑 わたしたちの愛するIさんは、女性っぽい感性抱えて、ハードボイルドに生きていらっしゃるから大変なのかも。なんちゃって、半分くらい適当なこと言いました。。スンマセン。エンディングストーリー映画の話リアルにいいと思ったな。めちゃくちゃいいシーン撮っといてさ、最後に一人で死ぬのは寂しいって叫んで二人を巻き添えにしてくなんて最高に悲惨で笑える。うむ、小説でも書いてみるか。しかし断崖絶壁でアクセル踏んで、そのまま車窓から放り出されて海に落下していくシーンは、やはり映像にしたほうが迫力出るんじゃないかな。そのくらい、はっきりその絵が浮かんだ。

 

あのあとわたしはばっちり稽古してきたんだけどさ、共演者の方(超エネルギッシュな美魔女おそらく五十代・翻訳、通訳など様々なお仕事をされてきたそう)と、今後の生き方について稽古中におしゃべりしたの。わたしが今後は女優業もどうなるかほんとにわかんなくって、せっかく入れた劇団もどうしてもうまく合わなかったり色々あって続けられなくて…という話をしたら、「私はね、辞めるのって、全然悪いことじゃないと思っているの。石の上にも3年とか10年とかいう人もいるし、もちろんそれも一理あるんだけれど、本当に無理だと思ったら辞めることも大事。やっぱり人間、自分の感性にしたがって生きるのが一番大切だから。感性っていうのはね、神様から人間に与えられた贈り物だから、それを生かした生き方を模索していけばいいのよ」みたいなことをおっしゃられて、ああ今日のストーリーはわたしのなかではここにつながっていくなと思いましたとさ。

 

ちょっとネタバレっぽくなってしまうけど、わたしの今度の芝居の台詞であり、もとはチェーホフの『3人姉妹』の台詞が、今日の「宇宙カフェミーティング」とリンクしていたので、書いておくね。わたしたちの今日のおしゃべり、なんか今思うとチェーホフの戯曲の中でロシアの富裕層が別荘の庭で語らいあってるのそのまんまみたいだった。100年前も、100年後も、きっと人間は小さなテーブルを囲んで紅茶をすすりながら、おんなじようなことを、おんなじような顔して語らいあうものなんでしょうね。

 

――いつか時がくれば、どうしてこんなことがあるのか、なんのためにこんな苦しみがあるのか、みんなわかるのよ。けどまだ当分は、こうして生きていかなければ。働かなくちゃ。ただもう働かなくちゃ。やがて冬が来て、雪が積もるだろうけど、あたし働くわ。働かなくちゃ。

 

と、ここまで書いて「今日はここまで」とアップしてお風呂に入ったんだけれども、バスタブの中で「やっぱり、こっちの台詞のほうがリンクしてるよな…」とか思っちゃったので、長くなるけど。

 

――ああ、不幸せなあたし。あたしもう働けないの。働くのはごめんだわ。沢山よ、もう沢山。いままで電信係もしたし、今は市役所に勤めてるけど、まわってくる仕事が片っ端から憎らしいの。ばかばかしいったらありゃしない。

 

――ああ、あたしはもう二十四。働きに出てからもう大分になるわ。おかげで脳みそがカラカラになって、痩せるし、老けてしまうし、それでいて何一つ心の満足というものがないの。ああ、時がどんどん経ってゆく。そしてますます本当の美しい生活から離れていく。だんだん離れていって、何か深い淵へでも沈んでいくような気がする……