26歳の交換日記

1988年生まれのすみれとくみこの往復書簡

どこもかしこもみんなまっくら。(すみれ)

『本へのとびら』読んでみたい。石井桃子のウィッキーも、まるで小説みたいで余韻に浸ってしまった。素敵な日記をありがとう。「その後ろを歩きながら本が楽しめる」なんて粋な表現。くみちゃんの言葉の中にふとあらわれるキラッとした表現が好き。素直で、鋭くて。

 

というのは、べつにお世辞でもなんでもなく、ただ思ったことを書いただけ。褒められることってほんとに悲しいくらい少ない気がするよね。こんなに頑張って生きているのに。笑 でも、それは、「事実として見ていてくれる人がいない」わけではなくて「本当は見ているし、感じてるし、すごいな、とか、いいな、とか思ってるのに口にせずにやりすごしてしまうことが多い」ってことなんじゃないかと思っている。せっかく喉から手が出るくらい欲しいお褒めの言葉をいただいたその瞬間に、自分から『いいえいいえとんでもございません、わたしなんてここもあそこも手ぇぬいてるし、できてないし、ここ実は汚いですし』とか必死こいて説明しちゃったりなんかするし。相手に対しても自分に対しても。

ふう。

 

黒子のバスケ事件の意見陳述すごいね。てか、長いね。長すぎてちゃんと読めてないけど、わたしが思ったのは『ああ、表現できてよかったな』ってことでした。事件も、裁判も、この超絶長い意見陳述も、彼の魂の中に鬱積してきた塊の噴出であるわけで、彼はきっとこれを書き終えて、また少し違う人間になったんじゃないかと思った。

 

幼少期って、自分ではどうにもならないもんね。トラウマを抱えて大人になる人って相当数いるわけで(分かりやすく虐待やいじめを受けていたというわけではなくても)、きっとなんとかして自分の痛みを表現して、受け入れていくことでしか超えていけない。この彼は、独房で書いて書いて書きまくったりしたら、その膨大の紙の向こうに立つのは案外優しげでさみしげなおじさんだったりするかもしれない。

 

わたしも、あなたも、みんな同じようなものなのにね。きっと。

 

今日は一日稽古でした。稽古見学に来て下さった方が、感動して涙を流してくださったの。「女優D(わたしのこと)すごく、もう、わたしのイメージそのまま。あなた、すごく悲しい!プロでやってらっしゃるの?」っておっしゃられた。(悲しい役なのどっちかというと)

芝居してても、褒められることはほとんどない。基本「ダメ出しがなければ褒められてるんだと思え」みたいな世界で。でもそれって、ノーコメントってことでしょ、とても積極的に嬉しい気持ちなんてなれないの。

 

だから嬉しかった。

 

わたしまで泣きそうだった。最近、「自分では身を粉にしてものすごく頑張ったことなのに全然褒められ方が足りなかった」ことがあって(文字にするとすごいバカバカしいね)すごく悲しかったんだけど、その瞬間だけ、すべてを許せたくらい。

 

わお、明日で8月も終わりだぜ。

まだまだその日じゃないのにお風呂上りに出血してた。なんだろう、なんの予兆?

 

落ち着いたら、飲みにでも行きましょうや。ねえ、優しさがほしいよね。秋のはじまり、夏の終わりは、とくに。

 

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