26歳の交換日記

1988年生まれのすみれとくみこの往復書簡

つかのまの夢(すみれ)

褒められたことはときに言いづらいよね。言っちゃいけない気がするから。

前回の日記を書きながらわたしも「こんなことは書くべきじゃないかな」って思ったし、公開したともやっぱりあの下りは削除したほうがいいという考えが一瞬よぎった。今だってどこかでためらってる。たかが「褒められてうれしかった」っていうのにこんな葛藤するのもバカらしいが。わたしがもっと若かったらきっと書かない。なぜならそれは、子ども時代に「自慢する奴ってキメエって言われるんだ」という構造を頭に叩き込んでしまったから。だけどこれはあくまで個人的な思いを綴るためのものなんだから、と、自分に断ってから、わたしは無邪気になることに決めた。

もっと、無邪気に、純粋になりたいな。

 

宮崎駿さんの話、難しくてはっきり自分が理解しているかわからないけど、つまりは「創造する」ってことなのかなーとか思った。たっぷり時間をかけて自分の魂を込めて創造する。そのことに、罪悪感をおぼえてしまうような世界に生きているから。

 

9月1日。日が落ちるのが早すぎてびっくり。子どもたちと校庭にかけ出た瞬間にパラパラと雨。ぱらぱらがあっというまにどしゃぶり。寒い。。絶賛生理中のこの身にはつらかった。。お腹痛くて横になりたい気持ちで「眠い」としんどそうにしてる子どもの熱を測るのは複雑な気持ち。

 

この季節になると、毎年07年のチャリコン思い出すんだよ。なんでだろう。やっぱりワークキャンプ後に準備が加速していったからかなあ。

 

今朝、美しい海にのみこまれていく夢を見たよ。みんなたくさん泳いでるんだけど、わたしだけ一緒にいてくれる友達がいなくて、さみしくて、でものみこまれるときはみんな一緒っていう。それから友だちが養子をもらって外国で育てることに決めた、とかいう。

ニヒリズムのむこう(くみこ)

なんだか疲れて悲しくて、ブログサボろうとしたけど、癖になるからだめだと思って書いてる。私えらいえらい、って一瞬思ったけど、上記のような理由で書いた私の文を読まされる人の身になってみろ、って思ってまたへこんでる。


宮崎駿ブームは継続中。今読んでるインタビュー集のなかに、
どうして、さまざまなルサンチマンを抱えているのに子ども向けの夢のあるファンタジーを作り続けるのか、って質問に、
才能と時間と金を掛けて制作する価値のあるものを作らねばならない、ニヒリズムを放出するのは簡単で、いま世の中はそういうものばかりだけど、それはやる価値があると思わない、みたいな答えがあって、ますます宮崎駿を見直してる。

そうだよね。

なんか、昼に24時間テレビを見て不覚にも涙が出てしまった。内容は忘れたんだけど。
ALSのアイスバケツチャレンジも、24時間テレビも、批判する人はいるけど、関わってる人の中には純粋な気持ちがあると思う。
テレビ局で、しめしめって思ってる人や、障害者の扱いがうんぬんって言う視聴者がいても、出てる人の人生として、あの番組を機に何かいい変化があったなら、それが一番大事だと思う。

女優D、ますます楽しみ。
こういう、褒められた話を書けるのっていいよね。笑  失敗した話より、ときに、人に言えないから。






どこもかしこもみんなまっくら。(すみれ)

『本へのとびら』読んでみたい。石井桃子のウィッキーも、まるで小説みたいで余韻に浸ってしまった。素敵な日記をありがとう。「その後ろを歩きながら本が楽しめる」なんて粋な表現。くみちゃんの言葉の中にふとあらわれるキラッとした表現が好き。素直で、鋭くて。

 

というのは、べつにお世辞でもなんでもなく、ただ思ったことを書いただけ。褒められることってほんとに悲しいくらい少ない気がするよね。こんなに頑張って生きているのに。笑 でも、それは、「事実として見ていてくれる人がいない」わけではなくて「本当は見ているし、感じてるし、すごいな、とか、いいな、とか思ってるのに口にせずにやりすごしてしまうことが多い」ってことなんじゃないかと思っている。せっかく喉から手が出るくらい欲しいお褒めの言葉をいただいたその瞬間に、自分から『いいえいいえとんでもございません、わたしなんてここもあそこも手ぇぬいてるし、できてないし、ここ実は汚いですし』とか必死こいて説明しちゃったりなんかするし。相手に対しても自分に対しても。

ふう。

 

黒子のバスケ事件の意見陳述すごいね。てか、長いね。長すぎてちゃんと読めてないけど、わたしが思ったのは『ああ、表現できてよかったな』ってことでした。事件も、裁判も、この超絶長い意見陳述も、彼の魂の中に鬱積してきた塊の噴出であるわけで、彼はきっとこれを書き終えて、また少し違う人間になったんじゃないかと思った。

 

幼少期って、自分ではどうにもならないもんね。トラウマを抱えて大人になる人って相当数いるわけで(分かりやすく虐待やいじめを受けていたというわけではなくても)、きっとなんとかして自分の痛みを表現して、受け入れていくことでしか超えていけない。この彼は、独房で書いて書いて書きまくったりしたら、その膨大の紙の向こうに立つのは案外優しげでさみしげなおじさんだったりするかもしれない。

 

わたしも、あなたも、みんな同じようなものなのにね。きっと。

 

今日は一日稽古でした。稽古見学に来て下さった方が、感動して涙を流してくださったの。「女優D(わたしのこと)すごく、もう、わたしのイメージそのまま。あなた、すごく悲しい!プロでやってらっしゃるの?」っておっしゃられた。(悲しい役なのどっちかというと)

芝居してても、褒められることはほとんどない。基本「ダメ出しがなければ褒められてるんだと思え」みたいな世界で。でもそれって、ノーコメントってことでしょ、とても積極的に嬉しい気持ちなんてなれないの。

 

だから嬉しかった。

 

わたしまで泣きそうだった。最近、「自分では身を粉にしてものすごく頑張ったことなのに全然褒められ方が足りなかった」ことがあって(文字にするとすごいバカバカしいね)すごく悲しかったんだけど、その瞬間だけ、すべてを許せたくらい。

 

わお、明日で8月も終わりだぜ。

まだまだその日じゃないのにお風呂上りに出血してた。なんだろう、なんの予兆?

 

落ち着いたら、飲みにでも行きましょうや。ねえ、優しさがほしいよね。秋のはじまり、夏の終わりは、とくに。

 

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夏の終わり。(くみこ)

口内炎、大丈夫?

私は最近、親知らずが完璧に生えてたことに気づいた。そういえば電動歯ブラシがわりと真剣に欲しい。

 

褒められたい、っていうのは、すごい欲求だよね。

私も、ひたすら褒められたい。怒られたくない。何か至らないことがあったら、怒られるんじゃなくて、「褒めないよ」って言われたい。そしたら「やばい!」ってなって頑張れると思うから。笑

そういえば、「黒子のバスケ」の脅迫事件の犯人の意見陳述がすごい、って話題になってたの、見た? 私も読んだけど、切なくなった。気持ちがわかるような気もした。

黒子のバスケ」脅迫事件 被告人の最終意見陳述全文公開http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140718-00037501/

 

 

最近、宮崎駿の『本へのとびら』って本をずっと繰り返し読んでる。

岩波少年文庫から50冊、宮崎駿が推薦文を書いて、あとエッセイみたいな感じなんだけど、これがすごいいい。いい、っていうか、ちょうどいい。

ずっとじめじめと悩んでいたのが、私は本一冊を最後まで読む集中力がなかなか続かなくて、本当に面白いと思ったやつしかちゃんと読めなくて、でも難しい本を読まなきゃとか、教養みたいな本を読まなきゃとか、ここ数年、その義務感がすごく出てきてなんか違うんじゃないかなーと思いつつ今にいたるんだけど、

宮崎駿がわくわくしながら、本のおすすめをしているのを読んで、そのおすすめする理由も、そんなに立派な理由ばかりではなくて、でもやっぱり着目する視点がおもしろいというか、「この挿絵のここが、こんなにすばらしい!でしょ?」っていう声が連呼されると、なんだかその後ろを歩きながら本が楽しめるような感じがしてすごくいい。

宮崎駿が、「児童書が僕には合っていた、他の本は難しすぎてよく分からん」みたいなの書いてると、なんか心から嬉しくてほっとして、やっぱり本って、好きな本を何度も読み返す読み方が私は好きだなあ、なんて素直に思ったのでした。

10冊を1回ずつ読んでも、何も覚えてないかもしれないけど、1冊を10回も読んだら、わりといろんなフレーズが体の中に流れ込む気がする。

 

もうひとつ面白かったのが(この本の話ばかりで…)、この本の中で宮崎駿は何度も翻訳者の石井桃子さんのことを褒めてるんだけど、

石井桃子Wikipedia見てたら、太宰治とのエピソードがすごく良かったから、コピペ。

 

太宰治との出会い

 

石井は1940年、『新潮』5月号の『走れメロス』で、初めて太宰治の名を知った。以前イギリスの本で読んだ『走れメロス』のモチーフであるメロスとセリヌンティウスの逸話に石井は感激したのだが、そのことを知人に話すと「きみ、そんな話、ほんとうにあるかね」と水をさされたことがあった。そのため、太宰の作品でこの逸話がモチーフとなり「ほんとうにうれしく思」ったという。

同年、井伏鱒二の家で太宰と偶然同席した石井は太宰から「ちょっとつかみどころもないほどやわらかい感じの、私には少年のように若々しく思えた人」という印象を受けた。井伏によると、「それから後は当分の間、太宰は桃子さんにあこがれるやうになつてゐた」という。

あるとき石井が自宅の庭にある白樺の木を薪にするため奮闘していると、その姿を井伏に目撃された。井伏がその時のことを太宰に話すと、「素敵ですね」「いつぺん桃子さんのところに、僕を連れてつてくれませんか。でも、僕は他意ないんだがなあ」と太宰は言った。

井伏によると、太宰は石井を念頭に置いて「僕は恋愛してもいいですか」と井伏に相談し、井伏から「そんなことは君の判断次第ぢやないか」と返答され、「やつとそれで安心した」と言ったことがあるという。

後に井伏は「太宰君がね、あなたのこと、あの人、えらい人ですねって言ってましたよ」と伝え、石井を笑わせた。酒を飲まない石井の家にベルモットがあることを知った井伏が太宰を連れて石井宅を訪問したこともあった。戦後まもなく石井が宮城県で農業を営んでいた頃、井伏への手紙のついでに「太宰さんも東北ですね」と書いたところ、当時青森県の実家に身を寄せていた太宰の住所を井伏から知らされた。しかし農業に忙殺されていた石井は太宰に連絡を取ることができなかった。

1948年に太宰が情死した後、石井は井伏から話を持ち出されないのに太宰の噂話をし、主に太宰の小説について印象を語った。そのとき井伏は「この女性が、太宰のあこがれてゐたのを意識して話してゐるものと解釈した」。そこで井伏が「『すつぱりして、気持のいい男でしたね』と云ふと、『ほんとよ、いい人でしたわ』と桃子さんは、わが意を得たといふやうに答へた」。

一方、石井は井伏に向かって「友情って、結局、そこまでは繋ぎとめられないものなんですね」と責めるように言ったとも回想している。そのとき井伏は「太宰君、あなたがすきでしたね」と言ったため、石井は驚いて「『はァ』と笑うような、不キンシンな声をだしてしまった」後、「それを言ってくださればよかったのに。私なら、太宰さん殺しませんよ」と答えた。すると井伏は「だから、住所知らしたじゃありませんか」と言った。

 

 

本へのとびら――岩波少年文庫を語る (岩波新書)

本へのとびら――岩波少年文庫を語る (岩波新書)

 

 

純粋でない。(すみれ)

はじめてさぼっちゃった。なーんにもしたくない気持ちになってしまったのさ!!そのせいか、口内炎が3つもできて、コーヒー飲むのも一苦労なのさ。

もう寒いくらいだね。突然の秋!今日はみんな長袖に上着まで着込んでる人ばっかりだった。おまけに冷たい雨。くみちゃんたちとカンボジア行った07年の夏ワークキャンプの帰りの西日暮里駅のホームで当時お付き合いしたてだったKにむかって「うわーこわいくらい突然すぎる秋だねえ!さみしいね!めちゃくちゃさみしくて泣きそうだね!」って繰り返したよ、わたしは。Kがそういう郷愁のような感情を抱くタイプだったのかどうかはいまだに謎。

チケット売るのは、やっぱり苦手だね。。応援していただいてるのは本当にありがたいのだけれど、「これがあなたにとってきっと面白いことです!」なんて人様に向かって言うことなかなかできないのね。だから、わたしが明るくて楽しくてワクワクすることをやってるぜイエイ!ってなってて、勝手に興味持ってくれるタイプの人が見つけてくれるような身分になれるのが理想だなあ。。。正直。もちろんものすごく高望みなことを言ってるのは百も承知だけれど。ツイッターとか駆使すれば、ちょっとは間接的に効果的に宣伝できるようになるのかなって思った時期もあったけど、わたし、どう頑張ってもツイッターは肌に合わなかった。。だけど、もうちょっと暇になったら、再チャレンジしようかな、とかもくろんでもいるんだけど。おもにこの交換日記の宣伝で。。笑

今日は、仕事中に使いに出されて、行きは全く迷わずついたんだけど、帰り道ものすごく迷って、もうやばいなーってくらい迷ってしまって、中学校の前にたむろしていた部活帰りの中学生たちに道を聞きました。この子たちはきっと、道を教えることを喜びとして受け取ってくれるだろうって思ったのよね。いいことしたい年頃じゃない。やらしいな、わたし。案の定、5人くらいいたうちの3人くらいが一斉に道を指示してくれて、途中まで一緒に行ってくれた。だからわたしはちょっとの遠慮と尊敬と親しみを込めて、「どうもありがとう」って言ったの。先輩後輩の「さようならー」って言いながらすれ違う時の微妙に余所余所しい雰囲気なつかしかった。

 

ありがとう。お褒めの言葉、すごくうれしい!第二弾。

なんかさ、「可愛い」とか「うまい」とかって、だんだんと口にするのもはばかられてくるくらい単純な言葉だけど、実は、すごくほしいよね。笑

 

 

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マッターホルン(くみこ)

イラスト可愛い。私は、左?なんとなくだけど。

次のバージョンも期待してる。


ああーわかるよ…、みんなには言えなかったけど、私チャリコンのチケット全然売れなかったもん…。なんだろう、バンバン売れる人もたくさんいるのにね。

自信がない(だから、自分が関わってないもののほうが、売りやすいよね)のと、売らなきゃ!って強迫が強過ぎるからかな。たしか、よしもとばななの小説に「子どもって、明るくて楽しいものが大好きなのよね」、みたいなセリフが出てきたんだけど、多分大人もみんなそうで、売らなきゃと思うとそういうオーラがなくなるからだろうかね。。


いま、もう一冊やってるから今月がピークかなぁ。

外国人のパーティみたい、って、なんだそりゃ、って一瞬思ったけど、まさにそういう感じなのかもね。


今日はなんだか、私はやっぱり人と何かをするのが本当に向いてないんだな、って思うことがあった。

誤解されたかも、というときに言い訳することも、これを言ったら少しはこっちを理解してもらえるかな、ということも、両方、自分のために言うことだと思うと、なんとなく自分が引っ込んで、無表情でやり過ごしてしまうんだけど、

それで結局、相手が傷ついたり怒ったりするという構造の、いま、理解の途中。


おかえりさない。(カレーライスの匂いとともに)すみれ

おかえりなさい。おつかれさま。すごいね。出版って、やっぱり魅力あるな。一般人には知りえない世界。外国のパーティーみたいなイメージだ。楽しみにしてる。いろんなこと。「もっと他にやることがある」っていう予感に意味を見いだせないはずはないよ。有終の美だね。

もう落ち着いたの?退職の直前まで忙しいのかな。わたしも来月で今のバイトと芝居がひと段落するから、くみちゃんと転機のタイミングなにげかぶっているな、と思った。

わたしはここ数日、ずっとずっと「やらねばならぬ」と思っていたんだけど億劫すぎて(正直に言います。。)できなかった来月の芝居の宣伝メールを送りつけたり、恒例の月一実家帰りして甲子園応援したりしておりました。

メール、くみちゃんにも送ったけど、ぜひ来てね!笑 

しかしメール送るのつらかった。。なんだろう、単純に自分自身の営業行為が苦手なんだよな。チラシ撒くとかならまだしも直接的に相手に訴えかけることがね。。もちろん純粋に見に来ていただきたいんだけれど、「なになに、メール来てる、え、超久しぶり、すみれからじゃん。ってかなに、芝居の宣伝かよ」みたいな相手の精神状態をマイナスにイメージしてしまうんだよね。。きっと。来月coccoサンシャイン劇場でまた芝居に出る(劇団鹿殺し『ジルゼの事情』再演)ってネットで読んで、勝手にチケットが売れていく人って本当にうらやましいなあとか身の程知らずに羨んでしまったりして、でもブツクサ言いながら、なんとか『送信』ボタンをひたすら押し続けて半日くらい経って、頑張って、とか見に行くね、とかいう言葉がポツリポツリと返ってきて「ああ、身近な人に応援してもらってるってありがたいな」って思った。ツテ売り上等!!

どう生きていったらいいのかわからなすぎて自傷するくらいでしかその恐怖と向き合えなかった頃、フィギュアスケーターが4回転する、ってことについて「アスリートがその瞬間跳ぶことによって別に誰が助かるわけでもないけど、でもその人が跳んでくれるってことでやっぱり多くの人が救われている」とか悶々と考えたことがあった。今日闘病中のお父さんと甲子園決勝見ながらそんなことを思い出した。

意味なんてごちゃごちゃ考えなくても、必要としている人には自然と届いていく。

シンプルでいたい。

ブログデザイン全然進んでないけど、キャラクターとかなんとなく考えてるよ。これからも適当に候補ちゃんたちアップするね。今日はほんわか系。

 

以下、テラスハウスふうに。

もう寝るわ、明日早いしー。うん、じゃ、おやすみ。うん、また。(ハァ)

 

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