26歳の交換日記

1988年生まれのすみれとくみこの往復書簡

ガンになってガーン。(くみこ)

最初にいうと、このブログ書き始めるのが、23時40分だったから、間に合いませんごめんなさい……! まあ、そんな日もあるよね。できるだけないようにしたいけれど。。

 

すみれさんのお姉ちゃんってそんなにハチャメチャだったんだね。

そういえばちょっと関係ないけど、とくに年の近い姉妹だと「姉のほうがハチャメチャ」なパターンが多い気がする。これ以上は、深まらないけど。笑

なんか、「第一子」とか「男」とか、自分はどうしようもなく経験できない人の世界ってすごく興味をそそられる。どういう気持ちなのかとか、「こういうのあるよね」って言える経験をできないからこそ。

 

劇団新感線はあたしでも聞いたことある!すごいね。

すみれさんの前回のブログを読んで、総じて、「絶望という名の列車」を思い出した。なんか、総じて、というか。タイトルこれで合ってたっけ……。

チンピラ女優、っていいね。なんか勢いがある。

9月にやるの? 日程決まったら教えてください♡

 

 

なんかこの話書くかどうか迷ってたんだけど、書いておくことにした。

あくまで「交換日記」だからね。なんか。

木曜くらいからすごい実家から着信が入ってて、でも私、いろいろと頭いっぱいなことが多くて無視してたら、昨日ついに兄から連絡があって、結論をいうと母親が胃ガンになったらしくて、いろいろと入院したり手術したりするみたい。まあ、どれくらいのものなのかこれから検査しないとだからわかんないんだけど。まあ、すぐに死ぬことはないでしょう、くらいの感じなんだけど。

 

で、いざそういう連絡がくると、意外と私は落ち着いてて、

というのも、うちの母親は結構苦労人なんだけど天真爛漫でニコニコしてて、人当たりもいいし情にあついしやるときはやるし、「立派な人」っていう言葉は似合わないんだけど、そこも含めて立派な人で、だけどなんとなく、内緒だけどね、「やすやすとは長生きしてくれなさそう」な気がしていたから、今回のことも「ショック」というより「来た」って感じで。

で、私は兄との電話のときも始終わりと笑ってて呆れられたんだけど

(だって笑うしかなくない? ちゃらんぽらんな妹としては「余命宣告」とかでもない限りいきなり深刻になんてなれないのよ。しかも電話だし。)

「帰ってこいよ〜」

なんてお母さんが駄々っ子みたいに言うから、ついいつもの感じで

「無理よー」

なんて返してしまって、一旦電話も切って、でも結局最初の電話では何も何もわからないから結局お兄ちゃんに折り返し電話して、まあ帰るほどのことでもない、って結論になって、連絡をもっと寄越しなさい、ということになって、

私はまあ父親と高校以来ろくに会話もしてなかったんだけど、電話で父が「お前は俺の電話に出ない」みたいなことを言ったときに、思わず

「だって怒られそうな気するもん」

って言ったら、母と兄がすごい爆笑して、なんかこの文章だと何が起きたのかまったく伝わらないと思うんだけど笑、その瞬間に、ああ、兄はこんなに心配してたんだなあと思った。私がそうやって言ったことに対してすごくほっとして歓迎した感じで。

 

あれ、なんか結局兄の話になってる……。

一応、仮に一年とかで母が死ぬなら、私、孫も抱かせてあげれないことになるんだなとか、私も兄も結婚しないままだろうかとか、一応考えてみたんだけど、さすがに「ガンになったらそのまま死ぬ」って時代でもないからまだ現実味がわかなくて、ねえ。

今日は、「自分も胃がんじゃないか」とか一瞬わけもなく考えたりしたり、「ガンになってガーン」っていう昔のブログのタイトルを思い浮かべたりしながら、ひたすら「三四郎」を読んでた。

そんなぼんやりした一日でした。なんか、これによって感じたこととかまた話し合いたいなと思ったよ。

 

 

追伸

いま調べたら、『絶望という名の列車』じゃなくて、『欲望という名の列車』だった。「欲望」という名の列車に乗り、「絶望」という名の駅で降りるんだった。