26歳の交換日記

1988年生まれのすみれとくみこの往復書簡

預言カフェ(すみれ)

おなかいっぱい。。今日だけで2キロくらい太ったな。

また日をまたいでしまいました。。

 

今日は休みだったから夕方まで昨日に引き続きロシア語同時通訳者・故米原万里さんの『今日もロシアは荒れ模様』を読んで冷戦とゴルバチョフエリツィンとロシア人に思いを馳せて、「米原さんがいま健在だったらプーチン政権をどのように語ってくれただろうか」と考えていた。この本はさる方に1年近く借りていて、その方はわたしが露文出身だから当然米原さんを知っていると思っていらして、わたしは当然知らなくて、本をお借りしたはいいけどソ連時代の歴史的背景についての無知がわたしをこの本から遠ざけていたのだけれど、昨日池上さんの『そうだったのか!現代史』でソ連崩壊について復習してから読んでみたらとても面白く読めた。米原さんが若くして亡くなられたことがとても残念。ロシアについてここまで情熱的に、平易な言葉で、ユーモアたっぷりに語れる人はほかにいないんじゃないかしら。ソ連があったころは、日本も世界もまだ「歴史がメキメキと音を立てて動いている!」実感があったのでしょうね。今だって歴史は確実に動いているし、とんでもないこともたくさんあるんだけど、なんていうか、時代の熱、みたいなものを感じないの。それがいいとかわるいとか、そんなことでもないんでしょうけれど。

 

預言カフェ、行ってきたんだよ!またまた。笑

今日はたまたまわたしが預言を受ける直前に「集会」っていうのやってて、せっかくだから参加したの。イギリス人のクリスチャンの若い女性がピアノ弾き語りで神様を賛美していたんだけど、その演奏が終わった直後にカフェで働いている小柄で地味なおばさんが突然こぶしを握りしめながらまるでロック歌手のように堂々と地団太を踏みつつその女性への預言をマイクで語りだして凄かった。その短いブロンドの巻き毛が美しいイギリス人女性は涙を流していらっしゃいました。

わたしへの預言は「やるべきことをやれる道を整える」というもので、毎回行くたびに同じ趣旨で語られるの。わたしは母がクリスチャンなこともあって、神様の存在は子どものころから感じていたの。今でも、特定の宗教は信仰しないけれど、大きな意味で神様を信じている。

 

わたし、「どうしてもいつかこうなりたい!」とか「どうしてもこれがしたい!」っていうの、ないんだよね。自分が本当に望むことがなんなのか、自分にもわからない。芝居は続けたいけど「大女優になりたい」わけじゃないし、執筆も地味に続けてるけど「大作家になりたい」わけでもない。何かを犠牲にするとか、そういう大それたことはもう考えたくもない。

だけど、相変わらずわたしは何かを信じて、何かを望んで、自分の魂の声を聴きたいと思っているの。。

 

やはり、わたしはいつか、自分の名前で舞台をやりつつ本を書いたりして、たとえそれが大きな世界の一部分、アンパンマンが飢えている動物に差し上げるアンパンの欠片にも満たない一部分であっても、それを信じていたいのかもしれない。

いま、預言を聞きながら、そんなことを、ぼんやり考えているのよ。